──────────────────────────────────── | 知恵市場 ☆ 2001.04.15 | g - e s s e n c e | エッセンス ☆ 合計発行部数 672部 | | ES1074 ☆ (B-mail=95:Nifty=577) | | ¥200 ☆ http://chieichiba.net/ | ──────────────────────────────────── g-essence 074 大量消費と環境問題 ──────────────────────────────────── ■「不便な生活」をどう思う? ■実際できそう? ■大量消費ってなんのこと? ■モノは本当に足りているのか? c o n t e n t s ■僕らはモノを消費しているのか? ■あなたの買い物、何ならやめられますか? ■消費抑制と豊かさ ■大量消費は悪なのか? ──────────────────────────────────── text by paco/渡辺パコ ──────────────────────────────────── 今回は「たのしい不便」(福岡賢正著 南方新社 1800円)をタネ本に、「大量消 費」について考えてみたいと思います。 環境問題と大量消費は切っても切れない関係で、しばしば環境問題の原因は大量 消費であるという指摘がなされます。これはもちろんその通りで、大量消費をな くし、20世紀初頭の生活に戻れば、少なくとも現在のような環境問題は、解決し てしまうというのは、異論のないところでしょう。 それゆえに、「大量消費をやめる生活をしよう」という主張は、よく見られ、こ の「たのしい不便」も「大量消費を越える」という副題の通り、この系統の論理 展開になります。 では、大量消費をやめるという主張は、説得力を持つのでしょうか。このテーマ を考えるにあたって、僕なりの主張をまとめてみたのですが、それを展開するだ けではおもしろくないなあと思いつきました。そこで、今回はすこし新しい実験 をしてみようと思います。 このエッセンスでは論点の整理を中心にした上で、僕の意見を述べずにみなさん にお届けします。読んだみなさんには、論点についてじっくり考えてもらい、専 用のアンケートページで意見を寄せてもらいたいのです。身近な問題だからこそ、 多くの読者の方から意見が出しやすいのではないかと思います。まとまった見解 でなくてもかまわないので、ぜひあなたの意見を聞かせてください。 では、タネ本の論理をおいながら、順に考えてみます。 ──────────────────────────────────── ■「不便な生活」をどう思う? ──────────────────────────────────── この本の著者、福岡賢正さんは、毎日新聞福岡総局の記者です。98年1月6日の社 説で、毎日新聞が「過剰な消費にブレーキを」と訴えたことを受け、福岡さんは 自ら「過剰な消費をしない」生活を実践し、そのようすを新聞紙上に連載するこ とを思い立ちます。この本は、その1年間の連載に加筆修正を行い、単行本にした ものです。 過剰な消費を押さえるという目的で、福岡さんが取り組んだのは、次のようなこ とです。 (1)自転車通勤(雨の日は合羽を着て) (2)エレベーター、電気掃除機、ふとん乾燥機、衣類乾燥機、ラップ、ティッシュ ペーパー、アイロン、電話の子機を使わない (3)弁当持参 (4)季節はずれの野菜や果物、カップ麺は食べない (5)風呂の残り湯をバケツで洗濯機にくみ上げる (6)食器は水で洗う、台所用洗剤は使わない (7)電気あんかを湯たんぽにする (8)生ゴミをたい肥にする (9)自動販売機、コンビニで買わない (10)マヨネーズ、ドレッシング、みそを自家製に (11)畑を借りて、ブロッコリー、ほうれん草などの野菜を栽培 (11)田を借りて、アイガモを使う有機無農薬農法に取り組む (12)壊れても買い換えず、修理して使う (13)使ったアルミホイルは水洗いして再利用 (14)風呂と洗濯は原則隔日に この本のいちばんおもしろいところは、これら「不便」を実践し、それを「楽し めばいいんだ!」と気づく著者の生活の過程にあります。 たとえば自転車通勤では、クルマで30分だった通勤時間が自転車で45分かかるよ うになります。そこで彼はその通勤時間をさらに短縮すべく、より走りやすい道、 近い道を捜して数分の短縮に成功して喜びに浸るのですが、ある時はたと気づく のです。「クルマ通勤をやめて自転車に変え、その自転車で時間短縮を競ったと しても、<すこしでも早く>という現代文明病に起こされていることには変わり がない。クルマという便利と引き替えに自転車の生活を選ぶなら、通勤時間も、 むしろ多少時間がかかっても楽しい道を選び、季節を感じながら走ったほうがい い」。 こうして彼は「不便はたのしい」と宣言します。 マヨネーズを買わずに自分で作ることにしても、マヨネーズを作ることはかんた んだし、出所がはっきりした材料を使える、その上マヨネーズの原料の大半がサ ラダ油だと気づけば、おのずと多くは使わなくなる、とその効用を説明します。 マヨネーズやドレッシング、みそを買わないという不便が、「安心で、おいしく て、健康な(塩分や油分を控える)生活」というたくさんのメリットを与えてく れる、というわけです。 たくさんの「不便」の実践それぞれがどのように、たのしく、またメリットがあ るのかについては、本をじっくり読んでもらうとして、たしかに「不便はいいこ とがたくさんある」という彼の主張に共感する人は、少なくないと思います。 ──────────────────────────────────── ■実際できそう? ──────────────────────────────────── とはいえ、それを実際にやるとなると、本当にそれがいいのか、現実的なのか? という疑問もわきます。 自転車通勤は確かにいいだろうけれど、当然汗をかき、特に春から夏はたっぷり 汗をかいた状態で出社するわけです。いくらタオルで汗を拭いたとしても、果た して周囲に汗くさいにおいを発散していなかったんだろうか? と疑問に思うわ けです。 ちなみに僕は、一時、よく利用するバス路線、約2キロを自転車とキックボードで 往復していた時期があるのですが、ほどなくやめました。来訪先に行ってから、 汗くさい自分が気になるのです。本にはそのあたりの説明がないのですが、仮に 会社について服を着替えたとしても、果たしてその程度で汗くささが「たいした ことがない」ようになるのかどうか。何しろ彼は、家族の協力を得て、風呂と洗 濯も「(14)原則隔日」にしているのですから。、そしてもうひとつ、新たに増え る洗濯物が環境負荷をかけることはないのかという疑問も感じます これも同じく説明がないのですが、「(6)水で食器を洗う」にしても、洗剤を使わ ず、水だけであらって、どの程度落ちるのか? せっけんを使えば水でも落ちる だろうけれど、落ちにくい分、水の使用量は増えるわけで、確かに給湯器のエネ ルギー消費を押さえたり、CO2排出に貢献しても、淡水資源の浪費にはならないの かと、ちょっと疑問に思いました。ただ、彼は後半、豚肉、牛肉もやめているの で、あらいにくい動物性脂肪の付いた食器はほとんどで買ったと思われます。菜 食に近いなら、食器洗いの環境負荷も間違いなく少なくなるでしょう。つまり水 で洗う、という不便が実質的な効果を現すには条件があると思うのです。 ちなみに僕は、キッチンでは洗剤は使わず、せっけんもごくまれにしか使いませ ん。洗い方を工夫すれば、お湯とスポンジでほとんどの汚れは落ちてしまいます。 このように、(1)〜(14)それぞれについて、ふたつの疑問が浮かびます。 「それって本当に、できるの?」 「できたとしても、本当に環境にいいの?」 あなたの意見はどうですか? ──────────────────────────────────── ■大量消費ってなんのこと? ──────────────────────────────────── さて、彼はこの実践を通じて繰り返し「人々は大量のモノに囲まれていて、これ 以上買うものがないのに、広告や企業のよぶんな開発に誘われて、よぶんな消費 をしている」と主張します。 彼が最初にやり玉に挙げているのが、自動販売機の飲料(この実践までは彼自身、 自動販売機のヘビーユーザーで、みごとにやめたので、「よぶんなモノ」と感じ るのだと思います)、モデルチェンジを繰り返すクルマや電気製品など。 たしかに一見彼が「よぶんなモノ」といっているモノは本当によぶんであるかの ように感じるのですが、さてではあなた自身は、そのよぶんなものを買っている と思いますか? 最近半年ぐらいに買ったものので、よぶんだと思うモノはどの ぐらいあるでしょう? そもそも大量消費、というのはどの部分をさしているの でしょう? 技術の進展が早い情報機器は別に論じるとして、ほかの電気製品は、機能面でほ ぼ完成されており、壊れないのに買い換えるのはまれになっているのではないで しょうか。ここ数年、僕は情報機器をのぞけば、電気製品はほとんど買っていな いし、例外的に買った冷蔵庫とファクシミリは、いずれも7年10年と使い、壊れて 買い換えたものです。 ファクシミリは見るからに古くなっていたので、納得がいったのですが、冷蔵庫 は納得のいかないものはありました。実際、部品交換で修理を考えたのですが、 修理後の再発の可能性が否定できず、悩んだ末、廃棄して新しいものを買いまし た。 あなたはどんなものを無駄に買ったり、捨てたりしていますか? 大量消費という事実には同意するとして、ではあなたが「無駄」に買い、捨 てたものは多いと思いますか? 大量消費、大量廃棄は、事実だと思います。しかしここで気をつけなければなら ないことは、大量消費が即、「大量の無駄遣い」を意味しているのかどうか。あ なたはどう思いますか? ──────────────────────────────────── ■モノは本当に足りているのか? ──────────────────────────────────── さらにもうひとつの問題。著者の福岡さんは、繰り返し「我々はもうすでにもの は充足し、だからものが売れない」と語っています。 これは本当でしょうか? あなたは実感では、モノの面で足りていますか? 今年に入って僕は山梨と東京の二重生活を始め、大量の生活の道具を買い足して しまいました。そこで気づいたのは、「確かに自分たちの生活に入る込んでいる モノは多い。しかしそれらは決して『無駄なモノ』ではない」という事実でした。 冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、トースター、加湿器、石油ファンヒーターなどな ど。 これらと快適な電化製品に加え、田園生活にはさらに別種のものが必要なことに も、気づかされています。スコップ、一輪車、電動チェーンソー、ドリル、のこ ぎり、ドライバー、金づち、かま、軍手、それらをいれておく大きな道具箱……。 農作物を作ろうと思えば、スキやクワも必要だし、一人二人で、家族プラスアル ファの野菜を作るだけでも、限られた時間でやることを考えると、エンジンの載っ た耕耘機がないと、厳しいかもしれません。 著者はスキやクワで畑を耕していますが、それは「畑」が借りられたから。庭先 で作物を作るためには、長年草花を育てているところでないなら、荒れ地同然で あり、作物が育つ土にするまでに、人手だけではすまず、道具が大量にいるので す。 というような僕の例は特殊としても、 あなたはモノに充足していますか? いまほしいモノは、足りないからほしいのか、それ以外の理由でほしいのか? 著者は、我々がものを買ってしまうのは、広告などによって消費中毒になってお り、必要もないのに買わなければいられない精神状態なのだといます。たとえば、 「経済的に成功したという事実を示すために、まだ買い換える必要のない車を売 って、高級車に買い換える」というように。 「続けるかどうかわからないけれど、エアロビクスを始めてちょっとおもしろく なったので、シューズやウェア一式を買ってしまった(別になくてもできるのに)」 というようなことはあるでしょうか? あなたは自分が広告に踊らされ、ついいらないものを買ってしまう、消費中 毒だという自覚がありますか? ──────────────────────────────────── ■僕らはモノを消費しているのか? ──────────────────────────────────── もし消費中毒だとしたら、その消費は、本来ものを買う目的ではなく、何らかの 情報的なメッセージを獲得するために、ものを買っているということになるはず です。 乗り物としては不自由がない小型車を売って、高級車に買い換えたとしたら、そ れは高級車に乗っているにふさわしい人だ、という情報に満足し、また人に伝え ることが目的であり、クルマという機能が目的ではないはずです。エアロビクス の道具を買い、結局だめになるより前にエアロビクスに飽きてしまう人にとって、 エアロビの道具は「運動を続けるかっこよさの誇示」あるいは「運動を続けるた めの自分自身にたいするエサ」というような目的があるでしょう。 いずれも、情報的な目的が果たせればよく、モノとしての機能は、実は非常にわ ずかな部分しか使っていないことになるわけです。 あなたは、情報が目的なのに、その情報を示す「モノ」を買ってしまうとい う消費の構造について、理解し、同意できますか? それともやはりモノは モノ自身が目的で買っていると考えますか? ──────────────────────────────────── ■あなたの買い物、何ならやめられますか? ──────────────────────────────────── さて、ここで改めて自分のことを振り返ってください。 あなたが大量消費をやめようという思いを感じたら、どんなことならやめら れますか? そしてさらに本質的な質問。 あなたが「やめられる」と思ったこと、もしくは著者がやめた(1)〜(14)は、 もしみながそれを実践するれば、環境はもちろん、個人、産業にとっていい 社会になると思いますか? ──────────────────────────────────── ■消費抑制と豊かさ ──────────────────────────────────── 質問はこれぐらいにして、もう少し考えてみます。 僕がこの本を読んでいちばん感じたことは、不便はたのしい、そしてそれは人生 をゆたかにする。しかし、だからといって不便は必ずしも環境をよくすることに 貢献するとは限らない、という点でした。 たとえば、クルマ通勤を自転車通勤に変えれば、確かに環境への貢献は大きいと 思います。しかし通常クルマ通勤をやめた人は、公共交通機関を利用します。バ ス電車通勤と自転車通勤は、どちらが環境負荷が軽いのでしょうか? これはか んたんには比較できないでしょうが、ではもしみんなが自転車通勤・通学を始め たら、何が起こるかという思考実験を行ったら、どんなことがわかるか、という 点で考えてみましょう。 みなが自転車を使えば、自動車はもちろん、バスや電車も必要なくなるでしょう。 あるいは、も市バスや電車の本数を変えなければ、空のバス電車が数人の人を乗 せていることになってしまい、これは決して環境にいいとはいえません。 健康な人なら、バス電車がなくなってもいい、ということになるでしょうが、そ うなると風邪をひいたとき、ケガをしたときに載る交通機関がなくなってしまう し、まして高齢者が隣のおばあさんを訪ねる楽しみを奪ってしまうことにもなり かねません。高齢者が自由に移動できない社会は豊かといえるのでしょうか?  確かに「不便は本人にとってたのしく豊か」というところまではいえても、それ が「社会全体として豊か」となるとは限らないのです。 別の問題で考えてみましょう。「(14)季節はずれの野菜を食べない」で、たとえ ば夏以外にピーマンを多くの人が食べるのをやめたとします。するとピーマンの 主要な産地である宮崎や高知の野菜農家は大打撃を受けることは間違いありませ ん。またこれらの産地と全国を結ぶトラック輸送業者も打撃を受けるでしょう。 このような可能性や状況を、社会としてどのように受け止めればいいのか、考え ておく必要があるでしょう。でなければ、一部の人の豊かさや、環境改善のため に、別の人が犠牲になることも辞さないという発想になりかねないからです。 ピーマンからほかの野菜へ、作付け転換を行ったり、輸送業者はある程度淘汰さ れるとして、環境によい産業に変貌していく可能性はあります。しかし、それに よって打撃を受ける人たちの存在について、言及しない新聞記者という著者の姿 勢には疑問があります。「押しつけずたのしく不便を実行する」と著者は無邪気 にいっています。著者が個人的な趣味で行っているならそれでかまわないのです が、「これが新しい社会のあり方だ」というように盛んに問題を敷衍(ふえん) する姿勢は、違和感を感じるのです。 ──────────────────────────────────── ■大量消費は悪なのか? ──────────────────────────────────── それ以前に、大量消費は本当に環境にとって悪いのか、その理由はなぜなのか、 という点について、もっとつっこんで考える必要がありそうな気がします。 特に大量消費が終焉するとしたら、産業全体、そしてあなたの会社はどのような 変革や対応を迫られるのか、という点について、著者も、著者が対談を行った10 人以上の識者も、回答を見いだせていないように見えます。 しかし、この点については、これまでのみなさんへのアンケートを見せてもらっ た上で、それを含めて僕の考えを提示していみようと思っています。 アンケートは http://www.chieichiba.net/community/ecru/es0104enq/ にあります。ぜひご協力ください。 ここからの回答を4月25日まで待ち、その後、結果と僕の意見をまとめた号外を、 お届けする予定です。一人でも多くの方からのご意見をお待ちしています。 2001.4.15 paco/渡辺パコ paco@suizockanbunko.com ──────────────────────────────────── ●エッセンスの転載については、知恵市場までお問い合わせください。 paco@suizockanbunko.com 知人(個人)へのエッセンスの紹介を目的としての転載は、1号限り、全文を 送っていただく場合に限り、特にこちらに許可を取らずに行ってかまいませ ん。ただし登録せずに受け取った人がさらに別の人に送ることは認めません。 ──────────────────────────────────── end of Chieichiba Essence (c)Chieichiba & Suizockanbunko inc. 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