育 児 の 深 層 * く り き ん と ん

このページは、子育てワハハ主宰・Kuriが、メールマガジン「子育てワハハ」の編集後記だけ
では飽き足らず、 子育てを通じたコラムをWebで連載するものです。子育てワハハの
B面として お楽しみください。 みなさまからの、ご意見、ご感想も、お待ちしておりま〜す♪



●「育児は育自。子育てワハハ!」の真相、の巻 (2001/4/1)

●毎日の生きるエネルギーをもらえる場所 (2003.11.6)
●ときには「感情抜きの子育て」も大切、の巻 (2001/4/15)  
●ワーキングマザーは社会で邪魔な存在?、の巻 (2001/6/1)  

●ワーキングマザーは、社会の勇気だ!、の巻 (2001/6/15)

 
●核家族には地域っていう大家族があるじゃん!、の巻 (2001/8/15)  

●世界の子育ては笑えるほど違う、の巻 (2001/9/1)

 

●人は愛を持って生まれてくることを教えてくれた人、の巻 (2001/9/15)  ★反響続々

 

母乳保育を続けるという選択と虫歯の話、の巻(2001/11/1)

 
「ワハハこの一年の裏話」の巻(2001/12/1)  
おめでとう!雅子様に愛子様!でもKuriが少し気になることの巻(2001/12/15)  

●ハワイで怒鳴るお母さん<Kuri的旅の楽しみ方考>の巻(2002/2/15)

 

●親が出てきて泣いている芸能人の記者会見に怒る!の巻(2002/3/15)

 

日々のストレスは料理を作って食べて解消!の巻(2002/4/15)

 

子育てに追われて疲れたとき読んでほしい詩、の巻(2002/5/16) ★反響続々

 

子育てに追われて疲れたとき読んでほしい詩・その2、の巻(2002/7/20)

 


●「育児は育自。子育てワハハ!」の真相、の巻 (up dated 2001/4/1)

「楽しい子育てを」って言われて、あなたはできますか?Kuriは、ムリです。

よく「子育てワハハっていうの、やってます」って言うと、「そのワハハって、どーゆー意味ですか?」とか「ワハハ本舗と関係があるのですか?」とまじめな顔で聞かれるのだけど、実はあんまりワハハ自体に意味はなかったりします。それと「子育てワハハ」って、「育児を楽しもう」とか「明るい育児をしよう」なんて、道徳的なこと言うつもりは、全然なくって、ただ、言葉に出して「子育てワハハ」っていうと、ちょっと元気が出てくるかなぁ〜とそんな感覚的に口からついて出てきた名前なんですね。

「楽しい子育てを!」と標榜しているサイトやメルマガって、多いよなぁ〜と思うんだけど、みんな、「子育てを楽しく」っていわれて、楽しくできますか?私はちょっと無理です。後厄を迎える年齢で産んだせいか、私には、子育てがおそろしく重労働に感じます。もちろん子どもといると「うわぁ〜かわいいなぁ」とか、「んもう、キュートすぎる」とか、ほのぼのうれしくなることはたくさんあるけれど、子育てそのものを「楽しい仕事」と思えたことって、あまりなかったりします。

「楽しく子育て」をすることが目的ではなくても、あくまでも、そのプロセスの一部を「楽しいなぁ」と感じることで、私は満足しています。そうすると気がラクです。今、目の前の子どもにムシャクシャしていても、後で「楽しかった」と、いい思い出になればそれでいいからです。こーゆーある種のいいかげんさを持つと、本当にストレスがたまりません。

育児は、もがきながらすればいいし、「もういや!」と叫びながらやればいいと思っています。ただ私は、それだけじゃなくて、大切なのは、親がひたすら「どう生きるのが豊満な生き方か?」とか、「どうすれば自分は幸せなのか?」を貪欲に考え、それを実際に実行していくことだと思っています。 私はそれを「幸福教」と自分で呼んでいます。・・・いや「幸福狂」のほうが正しいかもしれないけど。でもそれが一番ムズかしい問いだったりするんですよ。だって全部自分で考えないと、自分だけの幸福はつかめないわけですから。

おそらく思うに人生最大の罪は「思考停止」です。親が考えなくなったら、「育児」も「育自」もそこで終わり。考え抜くこと、考えさせられることは、時につらいこともあるけれど、つらい分、必ず自分に得るものがあるんだと思うようにしています。それは育児に限らず、すべてに言えることなのかもしれませんけどね。


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●ときには「感情抜きの子育て」も大切、の巻 (2001/4/15)

「熱が出ても、子どもが機嫌よければ大丈夫。」 この視点に、あなたは何を感じますか?

 息子がまだ乳児のころ、熱を出したときにお医者さまが、うろたえる私に「赤ちゃんは、熱が出ていても、機嫌よくおもちゃで遊んでいたり、笑ったりしていれば大丈夫なんだよ。」とほがらかに言われて、肩の力が抜けるというか、へ?と脱力したことがあります。あなたはどうですか?

 この「機嫌よく遊ぶ」という状態、本当に子どもは不思議です。熱が出ても、キャッキャとおもちゃで遊んでいたりします。「病気なんだ」という思いから、つい余計な心配をしすぎて、病気の子どもより、逆にこっちがイライラしたりしています。
 そんなとき、自分の主観を取り除いて、冷静に子どもの体調を見抜くことができる親の観察力。それがいかに大切かを、いつもこの瞬間に感じてたりしています。その後、子どものものすごい発熱を何度か経験しているうちに、子どもを単なる「生き物」としてみる、冷徹なまでの観察力や習慣が、病気の時だけではなく、普段からあってもいいんじゃないかなぁ〜と思うようになりました。
  例えば一日一回、子どもを感情抜きで定点観測をしてみます。
髪の毛が方まで伸びて、先がゆるやかにカールしてきた。眉毛はしなやかにウェーブを描きながら、産毛よりさらに太く濃く密生している。肌はやや乾き気味で、左の額の生え際に0.5cmほどのかすり傷が少し。深い赤のかさぶたになっている。汗が軽くにじんでいて、軽く匂う・・・
これを全身隈なくやっていると、自分が見ていなかったこと、見逃していたこと、新しい発見、昨日との違いをハッキリと見つけることができるようになりました。そしてこちらの感情や主観が、いかに自分の都合のいい部分しか見ず、勝手に解釈をしていたのかと、ときどきハッとします。

 子どもは、一人一人それぞれに才能と個性と違いを持って生まれてきていることを、繰り返し口に出すようにしている私も、時々それを見事に忘れています。そして、こっちの都合で勝手に子ども像を強要しているかも…と反省しています。
 ギリシャの哲学者・ソクラテスはもう2000年以上も前に、子どもは生まれながらに豊かな知恵を持って生まれてきている、それを呼び覚まし、引き出すのは教育であり、環境だといっています。また哲学者ゲーテは、「すべては、完成へ向かっての進化の過程」であるといっています。
 子どもがもっと自分の個性を自分で主張し始めたら、親が気持ちや主観で動く前に、もっと子どもを適正に見つめる視点も持って、彼らの知恵や才能を引き出せる親でいたいなぁ〜と、超まじめな瞬間が、毎日5秒ぐらいある育児修行中のKuriでした。


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●ワーキングマザーは社会で邪魔な存在?、の巻 (2001/6/1)

いや、何しろ仕事で忙しい。今、このエッセイも、息子をお迎えに行く電車の中でPCをひざに乗っけて書いています。

でもこういう忙しい日々は、とても危険。なぜなら「忙しい」というのは、ある種の刺激。こういう刺激がしばらく続くと、人は深く考えなくなるからなんですね。いわゆる「思考停止」というやつ。思考停止は、あなたに何ももたらしてはくれません。

それはさておき、先日、朝日新聞の子持ち記者、森川さんの取材を受けました。彼女がテーマとしている「ワーキングマザーの子育て」について、会ってお話したのだけど、自分でも驚くほど、言葉がじゃんじゃん出てきました。以前から、ワハハでワーキングマザーについて話したいと思いながら、最初の一言が出てこなかったのに・・・不思議ですねぇ。きっと彼女の取材がうまいせいでしょう。プロの業は違う。今回は取材のテーマが「五月病」だったのだけど、

あなたは、なぜワーキングマザーはブルーになると思う?

「子どもから離れて仕事をすることは、母として失格」とどこか心の奥で感じていたり、「働くといっても、子持ちじゃない人よりも、仕事の達成率が低いじゃん」いう罪悪感を持っているせいかもしれませんね。

でも、ちょっと待って。

育児が、「子どもを育てることは、次世代を創っていく仕事」であるように、子育てをしながら会社で働くことって、りっぱな「これからの社会を豊かにする仕事」です。実際に社会も、会社も、あなたが必要だから、会社はあなたを雇用している、と思いたいし、そう自信をもてる自分でいたい。

あなたがもし、今、自分が会社でして入る仕事が「なにも私じゃなくてもいい仕事(他の人だってできるかもしれない仕事)かもしれない」と思っていたら、あなたしかできないことをどんな小さなことでもいいから仕事の中で探そうよ。子育てをしていることで職場に迷惑をかけているかもしれない、と思ったら、今の自分が誠心誠意やれるだけのことはやっている、と言えるだけは努力してみようよ。経済的に仕方なく働いているなら、「これだけはこだわって働いている」と子どもと社会に胸を張れることを仕事に見出そうよ。

子どもは親を必要としているんだもん、子どもの熱や病気で休むのは「あたり前」のこと。それでも働き続けたい、というあなたの中にある気持ちを大切にしてください。あなたは一歩会社を出れば、今の仕事よりもっと長く続く「子育て」という次世代プロジェクトの責任者です。社会のほうが、もっと子どもを育てることの大切さに目覚めて、広くいろんなカタチでの「働く」というスタイルを受け入れる懐を広げることができるようになるまで、もう少しがんばってみませんか。

「少子化」というのは、決して社会が豊かになっていることを意味していません。もしあなたが、今、保育園から呼び出されて、早引きをしなくてはいけなくても、絶対に物怖じしたり、妙にへりくだったりしてはいけません。なぜなら、あなたは豊かな社会を担っている、りっぱな一市民だからです。

ワーキングマザーのみんな、もっと堂々と胸を張って。もっと前を向いて。もっと社会を豊かにしてください。そして、社会のみんなに勇気を与えつづけてください。

次回は、Kuriの記事にならなかったワーキングマザーの工夫をおとどけします。

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●ワーキングマザーは社会の勇気だ!、の巻 (2001/6/1)

やっぱり、このエッセイも電車の中で書いています。

前回、Kuriの記事にならなかったワーキングマザーの工夫をおとどけします・・・と約束したのを思い出したのですが、「え〜っと、何を話したっけ?」と、塩じい(塩川財務大臣)状態になっているので、ワーキングマザーに「勇気の素」のようなものをお届けしようと思います。

すでに働いている私にとっての「出産」や「育児」は、やっぱり「人生の目的」じゃないなーと思っています。つまり私は、「子どもを育てる」ために生きているわけじゃない、ということ。どちらも、あくまでも「自分を生きる」ためのプロセスでしかないので、育児をしながら働くのは、私にとっては「当然」 だと思っているんですよ。さらにいうと、

仕事は育児をしながらするものなんじゃないの?

・・・と思ってるんですね。で、なぜそう思っているかという理由の一つは、育児だけでは自分がやりたいことは、きっと全うできないだろうな、と思っているから。 一方、仕事も育児も、おまけに子育てワハハまでやっているわけだから、自分だけの時間を相当失っているなぁと思っています。だけど、子どもや育児を通じて私が得ているものは、「育児は育自」と標榜するように、人間としておそろしく大切な部分で、しかも質が高いように思います。で、ここからが今回、伝えたいことなんですが、

子育てから得た「大切な何か」をあなたならどうしますか?

私は、それを自分だけではなく、「社会に還元」するのが、もっとも次世代にとって有益だと考えています。それをまっとうするには、やっぱり仕事を通じて社会に還元する、という方法が、もっとも効率的で適切、つまり可能性として社会的起爆力が高いんじゃないかな、と思うわけです。

ビジネスという経済的なサイクルに、自分が子育てを通じて得た「大切」だと信じるものを乗っける。それができれば、次世代はもっとよくできるはず、と私は信じています。子ども達は、確実に次世代を生きなくてはいけないわけだし、次世代をよくしていくのは、親の責任(私の場合、その思いを抱いて働くこと)だからね。

ワーキング・ペアレンツの皆さん、そして子育てに励む親の皆さん、今、育児で得たものを、できるだけ沢山、自分の家族に、そして社会に広く還元してください。そして有効に還元する方法を一緒に考えていきませんか?そしたら、もっと明日は今日より、確実によくなります。

そしてワーキングマザーの皆さん、その還元できるチャンスを、今、あなたが最もたくさんつかんでいます。どうぞ、明日も、お仕事にお励みください。そして胸を張って、生きてください。

 

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●核家族には地域っていう大家族があるじゃん!、の巻 (2001/8/15)

ついにKuriは、会社を徐々に離れることになりました。現在、会社を10月まで休業中ですが、なんとも毎日のペースが変わって、面白いものです。

まず「あのクライアントの仕事を今日までに、」とか、「タイムカードを押さなくちゃいけない」etc,,,あの朝のユーウツから解放されました。給料は毎月振り込まれなくなりますが、自分で仕事が選べる、創れる快感に陶酔しています。また、家族との時間、友だちや仲間に会う時間を自分で自由にコントロールできるようになりました。

もちろん自分のやった仕事の分だけしか、銀行口座には振り込まれません。が、広告業界を12年半続けて、やるべきこと、やりたいことは、ほぼ一通りやり尽くしたし、次のフェーズに進むために、自然に時が満ちたような気もします。

さて、心の余裕に続いて、時間の余裕ができたせいもあり、地域、いわゆる「ご近所」との付き合いが自然に増えてきました。以前、育児休業中だった頃に、少し戻った感じです。Kuriは、一般に東京の山の手といわれる地域に住んでいて、子どもがいなかったときは、あまり近所との人付き合いはありませんでした。が、子どもができてからは、ご近所と何となく会話する機会が増えてきたんですね。

周りは案外、庶民的で、子ども好きな人が多い地域だったことを知りました。顔を合わせると、子どもをネタに、ちょっとした情報交換や家族の話をする機会が増え、お付き合いも増えてきました。きっかけというものは、こういうものかなと、私もあまり部屋に閉じこもらず、なるべく近所と話しすようにしてみました。地域の私の子どもに対する声かけの量も、それに正比例して多くなっています。

息子(一歳半)は最初、声をかけられたり、話し掛けられたりすることに、警戒心をあらわにしていましたが、成長にしたがって、最近では自分から笑いかけたり、返事をしたり、挨拶をするようになりました。大きな声を上げて泣いていると、どこかの近所のおばちゃんが「どうしたの?」と出てきてくれたり、おもちゃやおかずを一品をもって来てのぞきにきてくれたりするようになりました。時には子どもをつれて、散歩に出てくれたりもします。

地域にはいろんな世代の人々が住んでいます。世代によって、人によって、子どもへの声かけもいろいろ。私が見ていても面白いし、息子にも刺激になっているようです。他人なのに地域って、結構あたたかいものだなぁと、人のつながりを改めて感じています。地域そのものが「大家族感覚」というかな。

もちろん気の合わない人もそのうちでてくるでしょう。しかし、こうして自分から地域に積極的に接することで、確実に育児の追い詰められそうなストレスから解放されているのを感じるし、意外なことに、「自分ひとりでがんばらなくてもいいや」という脱力育児に向かう自分がいます。実家に帰ったときに、親が孫の面倒をみてくれて、をを、ラクじゃの〜と感じる、あの感覚に少し似ています。

働いているときは、仕事の疲れで、帰ってきてもそそくさと部屋に閉じこもったり、週末も何となく疲れていて近所と話すことがかなり億劫なときもありましたが、今思えば、なんとももったいないことをしていたんだろうと思います。

「核家族育児には、地域っていう大家族があるじゃん!」・・・と、会社を離れてから、改めてその素晴らしさを知ったのでした。

これから家での仕事をするにあたっても、この学びは活かしていこうと思います。ぶっそうな事件が多くても、実は心やさしい、いい人の方が世の中には絶対数多いのです。用心するに越したことはありませんが、子育てには、家族の愛だけでなく、地域の愛も大きな助けになること、皆さんともう一度シェアしたいと思い、思わず近況もかねて書いてみました。

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●世界の子育ては笑えるほど違う、の巻 (2001/9/1)

 

さて、この頃、会社の仕事を通じては、あまり会えなかった人たちとの出会いが続いてます。

大抵の場合、誰かが誰かを紹介してくださる、というパターンがほとんどですが、世の中にはこんな面白いことをやっている人たちがいるんだなぁと、30も半ばになって、目うろこになっています。以下に自分が狭い世界(業界)で12年過ごしてきたかを感じます。

さて、これまでワーキングマザー寄りの話が多かったので、今回はちょっとグローバル子育ての話にします。

といっても、私は「土地っ子気分」の旅行は大好きで、学生時代から20代までは、地を這うような「バックパッカー」と呼ばれる旅行を長くやっていましたが、世界の子育てというものにはあまり触れていません。土地の家族に招待されて、やれ夕食だ、泊まっていけと言われ、長いときには他人の家に1ヶ月近く居候したこともありました。特にネパールの山奥に結婚式に招かれたときの生活と、韓国で、ごく一般の家庭に一泊お世話になったときのことは印象的だったなぁ。

…話がそれましたが、そのとき興味があったことといえば、家庭では毎日、どんなご飯を食べているのか、とか、冷蔵庫には何が入っているのかとか、TVがあると、いったいどんな番組をやっているのか、とか、結婚式や冠婚葬祭があるときには、どんなセレモニーをしているのか?とか、そんな感じです。

そしてそんな旅を通じて痛感したのは、CNNやBBCなど、世界ネットワークの報道がリアルタイムに事件やニュースを流さなくても、多くの国で、毎日、家族は朝起きて、夜寝るまで、生活をしている、ということでした。イランで空爆があった時にも、チェルノブイリで原発事故があったときにも、やっぱりそこには子どもたちがいて、生活があった、ということです。世界は事件や事故で一杯ですが、それ以上に生活があるんですね。映画より、報道より、もっとリアルな生活です。しかもそれは毎日、違います。

さて、最近、世界の子どもたちの生活を、ずーっと取材し、撮影し、本にまとめている方に出会いました。彼女はすでに世界各国の家族と出会い、生活に触れ、その国の空気と匂いと味と人を存分に吸収して、それをシリーズ本というアウトプットをするという仕事(会社)をやっています。彼女の今までの本や取材でのエピソードをゆっくり聞く機会がありました。

彼女が出してきたこれまでの本をめくると、世界中どこでも、生活の基本はあまり変わらないことを知ります。そう、食べて寝て、しゃべって笑う。でも、世界中の生活を見ていると、うひょ〜!こんな家族もいるんだ、あんなカタチのくらしもあるんだ、へぇ、学校って、こんなに国によって違うんだ・・・と、すべての国、すべての文化、すべての家庭に「違い」と「個性」があることを、その本のビジュアルがハッキリ語っています(キューバの学校とオマーンの家族が特に印象的だったかなぁ。スペインの家族の笑顔もおおらかで良かったです)。おそらく、彼女が作っている本の完成度が高く、コンセプトが非常に明快で出来がいい、ということもあるんでしょう。

…こういうことは、実は私たちも頭の中ではわかっています。ただ、日常生活で言うと、人と違うことが時々、違和感や不安になることもあります。でもこれは非常につまらない不安だよなぁとその本をめくりながら感じました。これからもっと世界との連携で生きていく時代がやってくるのに、人との違い、自分のアイデンティティを持ち、楽しむことが出来なければ、その時代も楽しめないだろうな、ということです。世界には、もっとユニークで、個性的な家族がたくさんいて、彼らも毎日、生活しているわけです。でもちゃんと子どもは育ってる。子育てって、本当に家庭の数だけあって、おもしろいな〜って、ワクワクしてきます。

自分が出来ないから、せめて子どもたちは英語を、と教える親は多いですが、自分のアイデンティティ(違いを受け入れ、日本で生まれて育っているという自分のユニークネスを確立できていること)をしっかり持てるような教育を唱えている親はまだまだ少ないように思います。例としてお受験というものが、その象徴といった感じがします。もっとアウトローがいてもいいはずなんですけどね。平たく言うと、他人と同じじゃ、自分を生きていることにはならない、ということです。この世に生を受けたからには、自分らしさをもっと追及して、生きてもいいんじゃないかな、という感じ。グローバルな視点で見れば、日本にない受け皿も、世界にはあるような、そんなラク〜な気分になれたんですね。

ただ、まだ多くの人が具体的にどうしていいのかわからない、というのが、本音でしょう。それぐらい、日本は日本人同士、日本語で話せるようなある意味で幸せで楽な生活が出来る環境だったわけです。これはポジティブにとらえていいかと思います。

彼女と話していたのは、もっと世界の家庭や子育て、家族のあり方(シングルマザー、養子なども含みます)などを広く紹介したり、知ることで、私たちの子育ては、もっと選択肢や考えに幅が出来たら、結果、子育ては豊かかもしれないね、ということでした。彼女はすでに、その企画を売り込んでいるようですが、皆さんも知りたいと思いませんか?世界にいる、いろんな家族のありのままの生活。もちろん冷蔵庫の中を拝見なんていうページもあってもいいかもしれません。

そして情報はインターネットにあふれていますが、家族同士が触れ合ったり、相手を生活レベルで知るという機会はなかなかありません。本だけじゃなく、ブロードバンド時代を迎えるにあたって、新しいメディアも眼中に入れつつ、もっと子育てが豊かになるような知恵やアイディアをこれから見つけていきたいと思っています。もしお知恵を貸してくださる方がいれば、どうぞ力を貸してください。

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人は愛を持って生まれてくることを教えてくれた人、の巻 (2001/9/15)

 

前回、世界の子どもと生活のことをちらりと書きました。私は自分の日常を語る上で、忘れられない体験を12年前にしています。それは、インド・ネパールへ一人旅をしたときのこと。当時、私は初めての海外一人旅の奔放さに心が完全に躍っていました。何と出会っても、新鮮な驚きがあり、喜びでした。それに、なんといってもそこはインドでしたからね。

さて、ある日、カルカッタの中心地から郊外に向かうバスに乗りました(39番のバスです)。そして偶然にも、そのバスの終点の一角は、故マザーテレサのいる「死を待つ人の家」でした。周りは完全にスラム。生ごみの悪臭と物乞いとカラスが舞うなかを歩いていくと、質素な建物が静かに目の前に現れました。洗濯はしてあるものの、擦り切れかけた白いコットンに青いストライプが3本入ったサリーをまとったシスター達が、静かに部屋で人々の介助をしています。近くには「孤児の家」もありました。当時の私は、ほとんどマザーテレサを知らずに興味半分で建物に入っていきました。

そこでケアを受けている子ども達、正直言って、最初は足がすくみました。ぷーんと漂う汚物の匂いと、香油の香りが混ざった湿った薄暗い室内に目が慣れると、目の前にいる子どもに足がないのです。ある子は物乞いをするために、親に腕を切り落とされていました。顔がもう認識出来ないほどやけどをしている子ども、脳性まひや肢体が不自由な子どももたくさんいました。静かなシスター達の動きとは反対に、そこらじゅうで奇声が上がり、もがき、泣き叫ぶ子ども達。もう耐えられないほど(どう受け止めていいのかわからないほど)私の想像を絶する空間でした。ほとんど息をしているのかどうかわからず、床に骨と皮だけになり、目だけこちらを見て横たわっている子どももいました。

私は部屋の端っこでしばらく、魂を抜き取られたようにそこに立ち尽くしていました。目が慣れるまで、というか、ここがどこなのかを頭と体が理解することができなかったのです。もしかしたら数分だったのかもしれません。でもものすごく時間がかかったような気がします。

私は言葉もなく、その情景を胸に焼き付けて、黙って建物を出ました。自分があまりにもちっこくて、恥ずかしい存在に思えたからです。あの子ども達を目にしても、何もできなかった自分がくやしくて仕方ありませんでした。でも、なんと言っても、あの事実をどう受け止めていいのかわからなかったのです。

その後、日本に帰ってきて、日常にまぎれると、あのマザーテレサの家で感じた衝撃も徐々に薄れました。ほとんど忘れていたという感じです。そしてつい先日、あるイベントで、何気なくマザーテレサの写真集を手にしました。12年前に見た、あの光景がそのまま写真集の写真とともによみがえってきました。そして、その扉には、マザーテレサのこんな一言が載っていました。

 

何もしなくていい。

そこに苦しんでいる人がいることを知るだけでいいのです。

…中略…

でもあそこに取り残されている人は、あなたの兄弟です。

沖守弘「マザー・テレサ 愛は限りなく」小学館より

 

私は、この言葉を読んだ瞬間、今までずーっと心の中に閉じ込めてあったモヤモヤが、一気に噴出してきました。癒されたというか、許してもらえたというか。もう、その写真集を持つ手も震えるほど、会場の中で涙がぽろぽろこぼれてきて止まりませんでした。嗚咽をこらえるのが必死なほどです。でも一方で、あの「孤児の家」の子ども達と初めて一緒に泣けたような気がして、うれしい自分もいるのです。「ああ、よかった。やっとスタート地点に立てた!」そんな気がしました。

今の生活をしている限り、マザーテレサのような活動はできません。でも日常で、ちょっと困っている人、苦しんでいる人、悩んでいる人に気づいて、手を差し伸べることができるぐらいのことなら、私にもできます。自分にも、こんな気持ちがあってよかった。これが愛という感情なのかな、と改めて感じることができました。人は誰でも心のどこかにそんな愛を埋め込んで生まれてきていることを、マザーテレサは天国から静かに時が満ちるのを待って教えてくれたような気がします。

 

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母乳を続けるという選択と虫歯の話、の巻 (2001/11/1)

先月9月は目黒区の一歳7ヶ月になる息子の歯科検診でした。

まず歯医者さんによる検診、保健婦さんによる歯磨きの指導 などの後、別室で子どもの健康状態や母親の育児状況の報告と指導がありました。 そこで数人の保健婦さん、栄養士さんらと面談したわけなんですが、どの方もアンケートの項目「哺乳瓶(母乳)をやめていますか?」に「いいえ」 と応えた私に、ため息まじりの対応をされるのです。 そもそも 「哺乳瓶(母乳)をやめていますか?」 という質問(哺乳瓶と母乳の組み合わせ)がナンセンスだと感じるのは私だけで しょうか。私は自然卒乳まで母乳をあげようと思っていますので、「いいえ」と応えたのですが、すべての方が

「まだ母乳をあげていらっしゃるんですか・・・(語勢↓)」

ときます。丁寧に眉間にしわを寄せられる方もいました。 「母乳はよくないということでしょうか?」と問う私に、今日の保健婦さんのひ とりは、こうハッキリおっしゃいました。

「母乳をあげていらっしゃる家庭のお子さんは、虫歯になる子が多いんです。 し・か・も、母乳をあげていると三度の食事が満足に取れないために栄養失調になるばかりか、 出っ歯になる子どもが多いんですよ。それに働いていらっしゃる方は、体力的にきついと言われて、 ほとんど一歳半までに母乳は止められますよね。保育園からやめるように言われていないんですか?」

・・・私は脱力して、しばらく言葉が出ませんでした。

私は働いてますが、子どもが欲しがるかぎりは授乳したいと思っています。また保育園から自宅での授乳に関してあれこれ言われたことはなく、むしろ「母乳を続けていていいですね!続けられる限りは続けてくださいね。」といわれています。また授乳をしているといっても母乳が主栄養ではなく、いわゆる「食事」という ものを摂り(検診前のアンケートにもそう答えています)、母乳といっても喉の 渇きを少し癒すぐらいなものです。食事は3度とも進んでおり、目の前にいる子どもを見ている保健婦さんにも母乳だけで栄養失調になるような極端な育児をしていないことは一目瞭然です。

添い寝をしながら母乳をあげているので、確かに夜間は虫歯は心配です。でも虫歯予防はそれなりに心がけていますし、それ以上に母乳を上げる時間や授乳その ものを育児の一環としてとても楽しんでいます。 話が進むにつれて、「それって本当?」と思い始めて、こう質問しました。

「それは厚生(労働)省からの指導でしょうか?それとも何か確実なデータや文献からの引用をされていらっしゃるのでしょうか?」

とお聞きしたところ、その答えとして、

「厚生(労働)省から、一歳半になるまでに虫歯予防のためには母乳をやめたほうがいいと指導されています。 だから母乳を続けることで起こりうる例えばの例をあげるとそんな話が出てくるんですけどね。」

とおっしゃいました。

確かに母乳を長く続ける子どもに虫歯が多いというデータはあるようですが、母乳と虫歯の関連付けを明確にするデータは歯科医師・保健婦さんらから寄せられた情報によると、まだ今日現在では出ていないようです。また最近の医療従事者は、虫歯を理由に断乳を進める人は関連付けが出来ないために減ってきている現状の中で、厚生労働省からこういった指導が何の情報のアップデートもされないまま、過去に決めた「きまり」を楯に虫歯と母乳の関連については「再考の余地なし」とされているようです。

しかしこのような指導の現場をみていると、たとえ虫歯が子ども達を蝕むとしても、母乳育児を続けている母親にとって、これが決して効果的で納得の行くまともな指導とは思えません。なによりも母乳育児をしているから虫歯になるという短絡的な情報提供は、根拠が無いわけですから最も許せません。指導方法の改善や保健婦、厚生労働省内での情報のアップデートが必要であることを強烈に感じます。さらに母乳を続けることの弊害として、この保健婦さんが出された実例は、根も葉もデータもない話で、母親を混乱させるだけです。あまりにもひどすぎます。

こと母乳育児に関しては、よき指導者に恵まれ、仲間からポジティブな情報を得てきました。母乳育児のよさも満喫し、かなりこれまで気持ちよくやってきたゆえに、こうしてパブリックな場で母乳に関する衝撃的な指導を受けたことに対して、かなりネガティブな心象と問題意識を持っています。 心情的にも、情報内容に関しても、全く納得がいきません。まずこの保健婦さんの指導のように、現在の小児科医や歯科医、そして地域によって、あまりにも指導内容にばらつきがあります。これは「公的機関の子育て支援の質が、非常〜に低い」ことを意味しています。 この保健婦さんには、

「母乳育児を続けている人に対して、単純に断乳をすすめたり、続けていることに対して否定的な話をするのではなく、 関連付けるのであれば、母乳と虫歯の確実な情報提供をぜひ目黒区として責任を持ってして欲しい。」

とお伝えましたが、「何のこと言っているのかしら?このお母さんは?」という暖簾に腕押し状態です。あなたは意見や体験でこんな思いをしたことはありませんか?これについては、今後、ワハハでもトピックスとして虫歯について話をしたいと思っています。どうか感想や体験談、ご意見をお聞かせください。

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ワハハこの一年の裏話、の巻 (2001/12/1)


なんだかんだと、ワハハもやっと一年半を迎えたばかりです。

その間にブヨブヨの新生児だった私の子どもは幼児の顔つきとなり、心細く泣くばかりだった赤ちゃんが、最近は「あっちいって!」「今やってんの!」などと魔の2歳児を確信させる言動をはじめています。これって早いのかゆっくりなのか、さっぱりわからない変化でして、ときどき立ちすくんでいます(笑)

おそらくこの子育てワハハも子どもと同じような成長スピードなのではと思っています。読者限定のMLでは日々、誰かの問いかけや知恵や独り言などが連なっていて、もうじきその声も3000を数えます。そのなかで密室育児や子宮ガンの話、離婚や虐待しているかもしれない発言など、衝撃的な発言も数多くありました。それを乗り越えることができたのは、誰でもなくワハハに参加しているそれぞれのメンバーの知恵と愛の力でした。

メルマガも40を超えます。そして微々ながらも運営資金として続けてきたショップ。どちらもこれまでワハハ的アングルという視点にこだわって発信しつづけたことそのものに、私は意味があるなと思っています。これらはお母さん達だけでなく、医療従事者や育児に関わる関係諸氏から励ましをいただいた時は、本当に続けていて良かったなぁと思いました。今、すべてワハハのサイトを支えるコンテンツとして提供できています。これもパワフルなスタッフがいてこその継続だったと思います。

さて、そんな呟きをしつつ、このワハハのバックステージって、どうなっているんだろうと興味をもたれている人もいるかなと思います。別に特に公開するほどのものではないのですが、どうなっているんだろうと思っている人もいるかなぁと、ちょっとだけバックステージの話をします。

ワハハは今、主に編集と企画に関わる編集スタッフと、ハーブやホメオパシーに関わるプロジェクトスタッフの2種類あります。これはそれぞれメーリングリストを使って、毎日、濃ゆいメールを重ねながら打合せを日々しています。少なくとも編集スタッフのほうは、日々の平均メール数が十数通なので、結構な量です。育児の間を探してはやりとりしているワハハママは、そのうちキーボードを打つのが速くなるだろうなぁと思っています(笑)

スタッフは最初3人だったんだけど、それが4人になり、7人になり、そして入ったり卒業したり、何人かの出入りがありました。もちろん卒業もそれぞれの意志なのですが、決してお気楽だったわけでもありません。こんな小さなWebの組織でも、やっぱり人が複数関わって運営していくときって、それなりにエナジーもいるし、時には対立や不一致もあります。落ち込んだり、疲れて泣けてきそうになることだって、う〜ん・・・結構あったなぁ。でもね、そうやって自分はこう思うって、相手に言えることって、とっても大切なことだし、逆に相手を尊重しているように思えるんですよね。また自分の意見を自由に言える場があるって、とても建設的だし、自分を創るチャンスに思えるんです。今年、会社を設立したけど、やっぱりそのときのマネジメント(経営など)って、少なくともワハハで主宰としてやってきたことって、とても役に立っているなと思っています。

最近、ワハハのことを、子育てガハハさんとか、子育てワッハッハと言っている人がいて、可笑しいです。スタッフは個性派揃いで、Webというものがこの世になかったら、たぶん一生会わなかっただろうなと思う人ばかりです。だからこそ個性や自由さを大切にするワハハができているんだと思うし、実際にこうやって続けられてよかったなぁと思っています。

ドイツに住んでいるプロジェクトスタッフのRieさんとは、一年半以上もメールだけのお付き合いをしていたのですが、ついに先日、彼女の帰国の折に初対面をしました。会う前の日に電話で待ち合わせの確認をするだけでドキドキしちゃいましたが、実際に待ち合わせ場所であったら、いきなり「それでね、」なんて、会話が始まっていました。予想通り、話が盛り上がること約10時間。結局、彼女のご実家に上がりこんで、夕食までいただいてしまいました。いや、はじめましてでこんなことって、初めてです(笑)

今のスタッフの悩みは、こうして続けていくには、これだけ一生懸命にやっているワハハは、やっぱり利益をどこかで得たほうがいいのではないか?という思いがどっかにあることです。ボランティアで十分生きていける人ならそれでもいいですが、私自身、金銭的に利益を得ることについては、決して否定的ではありません。その利益のストックが、次の可能性を運んでくることもあるからです。

・・・あれ〜なんだか裏話というより、私の独り言のような話になってしまいました。爆笑裏話を楽しみにしてくれた人、ごめんね〜

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おめでとう!雅子様に愛子様!でもKuriが少し気になることの巻 (2001/12/15)


テロや景気どん底状態の今日この頃に、少し幸せになるニュースが飛び込んできました。雅子様のご出産、そして敬宮愛子様のご誕生。本当におめでとうございます。 実際は、日経の株価はほとんど影響なしだったそうなんですが、いずれにしろ子どもの誕生は人にほっとさせる力があります。

ところで、雅子様のご出産後の報道で少し気になることがいくつかありました。私は会社を辞めたあと、あまりテレビを見ていないのですが、それでも見聞きするのですから、これはどうなんだい…?と思った3つの話をします。

まず一つ目。退院の話です。

「愛子さまの体重が30数g増えたので、宮内庁病院の退院が決定。」

と報道されていました。出産したことがある人はわかると思いますが、出産後、子どもの体重が数百グラム落ちることはよくあることです。私の場合も2350gの子どもを産みましたが、退院時は2150gで200g近く体重が落ちていました。愛子様も雅子様も順調であることは大変望ましいことです。しかし、すでに生まれて一週間にして体重増加にフォーカスした、しかも何グラム増とまで報道されている様子を見て、『これがマニュアル育児につながらないといいなぁ』と不安になりました。

赤ちゃんの体重が増えなくて悩んでいるお母さんはたくさんいます。もしかして母乳不足かと不安を持っているお母さんは、もっとたくさんいます。でも決して最初から体重がガンガン増えなくても、色んな個性や育ち方の子どもがいます。かつて乳業会社が人工乳を売らんがために体重増加コンテストをやっていたような、「大きくなることが単純にいいことだ」という時代へ逆行しないことを思わず祈ったのは私だけでしょうか。今後、愛子様の成長が、マニュアルや標準的なデータに振り回されないことを祈りたいと思っています。

二つ目。母乳育児の話です。インターネットの記事はこうありました。

「関係者によると、雅子さまとお子さまは、ともに経過はご良好で、 雅子さまは初めて授乳された前日の3日に続き、午前と午後に授乳をされた。 沐浴(もくよく)されたお子さまは、気持ちよさそうなご様子だったという。」

えぇ?生まれて3日目に授乳?午前と午後って1日2回だけ?夜の授乳はしていなの?他にも「3時間おきに定期的に授乳をされている」と報道されていたという話にも、やっぱり私は目をむきました。そんな、赤ちゃんはロボットじゃないんだし!

最近では、たとえ帝王切開でも術後、すみやかに手術室でも授乳をするようになっています。どうして生まれたらすぐ母親のおっぱいを子どもに含ませると言う当たり前の事ができないのでしょう。多くの人が「あれは変」「知らないんじゃないの」と思ったのではないでしょうか。宮内庁病院の今回のご出産関連の担当は、東大の堤教授でした。彼は不妊治療専門医ですが、決して母乳のことを知らないとは思えません。雅子様が今後も皇室、そして宮内庁とそれを取り巻く人々の間で、儀式や形式が何かと外せない皇室の中で堅苦しく育児や強いられるのではないかと心配です。雅子様、もしインターネットができるのなら、ぜひワハハに遊びにきて!ワハハな話をいっしょにしませんか?!

三つ目。報道です。

何しろ報道の母乳だけでなく、育児情報の理解不足には本当に頭来ました。「3日目で初めて授乳なんておかしい!」って(皇室批判は公にはいえないだろうが)思わなかったのかなぁ。。。雅子様はLDRという陣痛〜分娩〜産後ケアを同じ部屋で過ごせる部屋に入院されたのですが、LDRを「陣痛から産後まで をひとつの部屋で過ごせる機械」と報道していたと言う話も聞きました。

いや〜マスコミの方々、もっとお産のことを知らないと、日本の育児も将来もダメになってしまうよ!スキャンダルばかり追ってないで、もっと勉強しなさいっ!

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ハワイで怒鳴るお母さん<Kuri的旅の楽しみ方考>の巻 (2001/2/15)


この正月はテロの影響で海外脱出組が極端に少ないと聞き、「あえて普段、選ばない海外に行こう」と、夫とともにもうじき二歳になる息子を連れ、家族で年末からハワイ に滞在しました。 その旅先での話、ちょっと長いです(^_^)

さて、何もしないと決めた休みだったので、正月も朝から水着でビーチでごろり。 息子とひたすらビーチで遊んでいました。そして私たちの近くで40歳半ばと思しきパパと中学生ぐらいの女の子が、なんとも静かにほのぼの砂遊びをしていたのが目に入りました。 お年頃になってくると、きっと普段こういう時間も持てないだろうに、旅先なら それも可能なんだなぁと思い二人を見ていると、彼らは砂をいじりながら、「あの雲、カメさんみたいだね〜」とか実にのんびりした会話をしているのが耳に入っ てきます。一緒に時間を共有する温かさというのかな。旅って、これだから好きなんだよなぁと見ている私も幸せでした。そこに突然、お母さんが登場します。

「ちょっと!あなた達!こんな暑いところで、いつまでも何してるの!海岸は実は暑い所なのよ!日射病になるわ!さっさとこっち(プールサイド) に来て、チーズサンドバーガー頼んだから、ちゃんと食べなさいっ!」

ビーチで静かに過ごしていた人は、みんな一瞬、チェアから身を起こしながら、「何事が起 こったのか?」という感じで振り返りました。私も、息子もあまりのすごさにフ リーズです。

ブランド衣装で身を固めたそのお母さんは、ズシン!ズシン!といった感じの足取りで二人に近づきながら、恥ずかしげもなく大きな声で怒鳴り散らしました。 イヤイヤをする娘に「早くっ!」と正面で仁王立ち。しぶしぶ立ち上がる二人が、何とも哀れでした。きっと日本でも、これは彼らの日常風景なのでしょう。

日射病になるなら帽子をかぶって、ミネラルウォーターを飲めばいいのです。水着なんだもん、普段遊べない砂で思いっきり汚れたっていい。ランチに何を食べるかなんて、自分で選べばいい。この人は一体、何のためにハワイに来たのかし ら?と思えるエキサイトぶりでした。 女の子の自由の時間は、お母さんの怒号で服従の時間に変わりました。彼らが去っ た後、父娘が作っていた砂のお城は、そのまま夕方まで完成することはありませんでした。きっと父娘のあの時間も止まったままでしょう。

育児をすると「子どものため」と思うばかりに周りが全く見えなくなることが誰 にでもあります。親自身が子どもより先に余裕を失なっているのでしょう。でも その失った余裕やいつもの生活で見えなくなったものを見つけられるのが、非日常的な時間を過ごせる旅の本来の魅力でもあります。

ぜひ旅に出たら、いつもと違う家族をお互いに見つけようという気持ちをどっか に隠し持っていて欲しいなと思います。そして旅に限らず、子どもを持ったら、 一年に一度でもいいから、ベビーシッティング・サービスをお願いして、夫婦だ けの時間を過ごしてみて欲しいなぁと思います。たった2時間でさえ、きっと相手を惚れなおすような部分を改めて見つけることができると思うんですよね。親の精神安定は、育児の中でも何よりの優先事項だと私は信じています(^_^)

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親が出てきて泣いている芸能人の記者会見に怒る!の巻 (2001/3/15)


「この人、何のつもりかしら?」息子の覚せい剤使用で、記者会見を開いて号泣してる女優さん。うっかり朝、テレビをつけていたら、モーニングショーの芸能コーナーで見苦しい記者会見が流れてきました。そのお粗末な会見に、最初はあっけにとられた私ですが、なんだか怒りが込み上げてきました。

三田佳子に続いて、大空真弓の息子が覚せい剤取締法違反で逮捕されたとのこと。確かに女優の息子といえば、社会的影響力も強いからこの手の記者会見は避けられないんでしょうが、そのものの言い方に問題があると思ったのは私だけかしらん。大空真弓も三田佳子も記者会見で確かにこう言っていました。

「私の女優としての仕事が忙しくて、大切な多感な時期にそばにいて上げられず…その寂しさが今こうして、覚せい剤の罪に及んでいると深く反省しておりまして...(号泣)」

うわ〜!この二人の女優さん、家の外に仕事を持ち、人に子どもを預けて働きに出ている全国の女性、そして男性を敵に回すつもりかしらん?女優って、そんなに子どもに愛情を与えられないほど忙しい仕事なの?少なくとも子どもと一緒の家に住んでいるんでしょう?女優という仕事が今回の罪に起因しているなんて、ちょっと論理が飛躍しすぎ。しかもその直後に恐ろしく号泣するその様子を見るにつけ、この発言がすごく短絡的で迷惑、しかも「女性ってやっぱり感情的」っていうイメージを植え付けやすくなっちゃうわよね、と直感的に不愉快な気分になりました。

女優で忙しい ⇒ そばにいて上げられない ⇒ 息子が寂しい ⇒ 覚せい剤に手が伸びる

この図式をあなたは納得できますか?私はできません。覚せい剤に手が伸びるのは、もっと他のところに多くの原因があるとしかおもえません。つまり母親が働きに出ること以外ににもっと根深い問題があるはずです。女優であっても、覚せい剤に手を伸ばしていない子弟・子女を育て上げた人も多いわけですから、仕事(女優業)を言い訳の大きな傘にしたこの二人の言い分には、絶対に納得できません。もしそういうなら「仕事が忙しくて」じゃなくて、「自分の育て方に問題があった。」の一言でいいでしょう。仕事を持ち出すのは、外で働きながら子育てをしている親に失礼です!

・・・んでもって、二人の子どもの年齢を聞いてビックリ!まだ高校生ぐらいの子供かと思ったら、なんとどちらも20代、しかも大空真弓の子どもは26歳!30を目の前にしている立派な大人です。いや〜こういう記者会見を無言で強制する日本の芸能界、報道の現状も現状ですが、子どもの責任をいつまで親が号泣しながら誤らなければならないのか。。。大空真弓の泣きはらしたお顔を見て情けなくなったというのが、正直なところ。あなたはあの記者会見、見ましたか?そしてこの話をどう思いますか?ご意見、聞かせてね。

 

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日々のストレスは料理を作って食べて解消!の巻 (2001/4/15)


世の中には、いろんなストレス解消法があるんだけど、毎日の育児や仕事のさなかでは、そうそうマッサージなんていけないし、お金を出して、時間を割いてって、難しいですよね。私の場合、非常に経済的で家族(時には友だち)の皆にも喜ばれて、自分もうれしく、ストレスも解消できる方法は「料理」です。今回はその実践編を2つばかり話したいと思います。

ちなみに私は自分と家族のと心の健康に比較的こだわっているほうだと思いますが、ベジタリアンでもマクロビオテック実践者でもありません。肉も魚も酒も砂糖も牛乳も摂っていますし、酒は母乳育児をしているのにもかかわらず、むしろ人よりたっぷりとって過ごしていると思います。

・・・さて、前を気はこれぐらいにして、ストレス解消に何を作っているのか、今回は2つだけ公開します。

まずお勧めしたいのは「鶏ガラスープ作り」。なーんだ料理じゃないじゃん!と突っ込まれそうですが、このスープは「不要」だと思われているものしか使いません。このスープを作る人は食べ物を無駄にしない「捨てない人」。それだけでも尊敬されてもいいんじゃないかな(…と自分では思っています)。

材料は用意しません。普段、料理を作るときに出る野菜のくず、しょうゆやつけだれをとにかくタッパーなどにマメに集めて、冷凍庫に貯めまくります。ブロッコリーの枝や皮、にんじんの端っこ、しょうがの皮、ねぎの根、セロリの葉っぱ、にんにくの端っこ、お刺身のときの残ったしょうゆ、飲みさしの酒、なんでもOK。あとは手羽先や手羽中料理で食べ残した鶏の骨は絶対に捨てません!もし鶏の骨が少ないかなぁと思ったら、近所で一番高級な鶏肉を売っている店の料理場のおばちゃんに、「鶏ガラ一羽売ってもらえませんか?」交渉しましょう。比内鶏などは抜群のだしが取れます。肉は高いが骨はバカ安。数十円〜2百円ぐらいで売っています。それを家にある一番大きななべにポン!と入れて、ひたすら2〜3時間とろ火(最初煮立つまでは中火でもよし。煮立てすぎると濁ります)で煮込み続けます。それだけです。あとは子どもと遊ぶなり、PCの前に座るなり、子どもと遊ぶなり、仕事を続けるなり、好き放題。

このスープを作ると冷蔵庫・冷凍庫が急にきれいになるので、それだけでも気持ちがすっきりします。なべのスープが次第に黄金色になっていくのを見ると、私は「ものを無駄にしない女」という自信もむくむくと湧いてきます。で、家の中が次第にラーメン屋さんのようなものすごぉぉっぉくいいにおいがしてきます。「自分はなんて暖かい家にいるんだろう」と豊かな気分になれます。そのとき、あなたは至福の食欲と空腹を感じるに違いありません。

煮出して使い尽くした材料はざるに引き上げ、スープのあら熱をとって、時間があるなら漉して、冷蔵庫で保存します。大体、1週間弱ほど持ちますので、朝粥に使うもよし、本当にラーメンにしてもよし、煮込み料理に使ってもよし。なんでもいけます。粉末や固形スープも便利ですが、こうして自分の心を癒すスープ作りを野菜くずがたまる月イチぐらいで、プチイベントにしてはいかがでしょう?心の掃除もできるかも。

次にお勧めなのが、「ニラ餃子」です。え?平凡ですか?ちなみに私は肉はつなぎ程度にしか使いません。ひたすらニラ一束、白菜(春夏はキャベツ)外皮数枚、しょうがとにんにくひとかけを「ひたすら」細かく刻み、塩コショウ、しょうゆをたらしたら、仕上げに桜えびを軽くつかみ入れて、よぉぉぉぉぉぉーく練ります。コツは、とにかく白い野菜は「できる限り細かく刻む」ことです。こうすると子どもも食べやすいし、包みやすいし、食感がいいです。

「刻む」という作業は、夏樹静子の小説のようで少々怖いですが、息を詰めながら刻み終わると胸の底から「ほぉー」とストレスがたまった息が吐き出されて楽になれます。みなさんも普段、台所に立つとき、刻みながらそう感じているのでは?しょうがやにんにくも細かく刻むとアロマテラピー効果?も手伝って、元気が出てきます。

また「肉と野菜がねっとりとなじむまで練りこむ」のは、餃子をおいしくするコツです。これは肉が少ないとしっかり練らなくてはいけないので根気が要りますが、練るという作業も普段使わない指と腕の筋肉を使うので、お勧めです。もし肉の脂が少ない場合は、ここにごま油やグレープシード油をたらします。もし家族が疲れ気味なら、赤いクコの実をネタに加えてもいいかもしれません。最後に桜えびを加えるのは、香ばしさを加えるためですが、肉とあいまって不思議なうまみが出ますので、ぜひ試してみてください。入れすぎるとお好み焼きの味がしますので注意。

最後、皮に閉じ入れる頃には、すでに半分ぐらいいやなことは忘れているはずです。それでもまだイライラするときは、包みながら歌詞を全部覚えている歌を包み終わるまで歌い続けてみてください。歌うと頭が空っぽになって、ほかの事が考えられなくなります。途中で子どもにエプロンを引っ張られたら、ラップを肉ネタに隙間なくかけて、子どもを優先しましょう。できれば餃子作りは子どもの昼寝中に作るのがいいんですけどね。もし肉タネが残ったら、まとめて冷凍しておいて、野菜炒めやマーボ豆腐のときに使いましょう。

さ、焼きます。いつも使っている油を気持ち多めにたらし、フライパンでしっかり熱して、同じ向きに餃子を隙間なく並べます。じゅぅぅぅっと強く焼けるほうがいいです。焦がさないように、フライパン返しを底に通しながら、焼き色がついたらコップ1cmほどの水を入れ、火を弱めて、ふたをして音がしなくなるまで蒸し焼きにします。

私は待ちきれなくて、ふたをしたら、すぐビールを開けて、すきっ腹にアルコールを入れてしまいます。この餃子はお野菜がいっぱいであっさりしているだけでなく、どっか香ばしい味なので、ニラ嫌いの子どももたくさん食べてくれます。普段、野菜嫌いで食べてくれない子どもが餃子をたーくさん食べてくれると、すごぉぉぉくうれしくて、いつもより子どもがかわいく見えます。大人のお通じもかなりよくなるし、疲れ気味の身体にも精力もつきます。何よりおいしいので、自分も家族もうれしくなります。

あれ?私って、何にイライラしていたんだっけ?なんてね。イライラを思い出すことさえ忘れてしまうかもしれません。 料理が下手でも、大丈夫。ニラ餃子にはチーズを入れたり、しいたけを入れたり、桜えびを生えびにしたり、自分の味も工夫しててみては?

あなたのストレス解消料理も聞いてみたいです。

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子育てに追われて疲れたとき読んでほしい詩、の巻 (2001/5/16)


専業主婦に限らず、育休中でも何でも、家で子どもと向き合っていると、どんなに強い精神力を持っている人でも、ある日、突然、行き詰ったような気分に陥ることがあります。子どもを保育園に預けているわたしでさえ、です。きっとこれを読んでいる人の中で自分が、もしくは自分のパートナーが、そういう状態になっていることに気づいたことがあると思います。

これは気分のバイオリズムなどで仕方がないことだとわたしは思っていますが、それでも、そんな時はパートナーや友人から一言あるだけで勇気がわいてくることがあります。

実は、今回紹介する詩は、わたしがすごく気に入っている詩で、ある日、この詩を紹介されているサイトに出会いました。その中でこれが一番、私を力づけてくれた詩(Today:詠み人知らず)をご紹介します。他にもLove、Tearsなどといったタイトルの詩もあります。興味のある人はこちらで読んでみてください。

原文が英文なので、つたないながら、わたくしKuriの訳ものっけてみました(もしも、ここはこういう表現のほうがいいというひとがいたら教えてください)。また転載ご希望の方は、日本語訳の最後にわたしの名前とサイトを入れて下さい(ひとつの英語の詩でも、いろんな解釈があると思いますので)。

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What Did I Do Today?

Today I left some dishes dirty,
The bed got made around 3:30.
The diapers soaked a little longer,
The odor grew a little stronger.
The crumbs I spilled the day before
Are staring at me from the floor.
The fingerprints there on the wall
Will likely be there still next fall.
The dirty streaks on those windowpanes
Will still be there next time it rains.
Shame on you, you sit and say,
Just what did you do today?
I held a baby till she slept,
I held a toddler while he wept.
I played a game of hide and seek,
I squeezed a toy so it would squeak.
I pulled a wagon, sang a song,
Taught a child right from wrong.
What did I do this whole day through?
Not much that shows, I guess that' s true.
Unless you think that what I've done,
Might be important to someone
With deep green eyes and soft brown hair,
If that is true - I've done my share.

Author Unknown
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今日

今日わたしは皿を洗わなかった。
ベットは、くちゃくちゃのまま。
オムツは水に浸したままだから、
すこし臭いがきつくなってきた。
昨日、床に落とした食べかすが
わたしをじぃーっと見上げてる。
手でイタズラ描きをされた壁は、
たぶん秋がくるまで、そのまま。
窓ガラスに描かれた汚い線画も、
つぎに雨が降るまで、そのまま。
だらしないよね。きっと人には、
「ねぇ今日何してたの?」って
言われちゃうかもしれないよね。

わたしは、赤ちゃんが眠りにつくまで、抱っこしていた。
わたしは、子どもが泣きやむまでずーっと抱っこしてた。
わたしは、かくれんぼをして遊んでた。
わたしは、キューっと鳴るおもちゃを握っては鳴らしてた。
わたしは、乗り物を揺らしては、歌を歌ってた。
わたしは、子どもにしていいことと悪いことを教えた。

わたしは、この一日というもの、
ホントに何をしてたんだろう?
大したこと、やっていないかも。
自分でも、それはそうだと思う。

でも、こう考えれてみたらどう?
たぶんわたしは深いまなざしと、
ふわふわ髪の、そう、この子に、
とっても大切なことをしたって。

もし、それが本当ならわたしは
自分のやるべきことをちゃーん
とやれた!っていうことだよね。

作者不明(詠み人知らず) 訳 Kuri(栗原美幸)@子育てワハハ http://chieichiba.net/wahaha ========================================================================

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子育てに追われて疲れたとき読んでほしい詩 その2、の巻 (2001/7/20)


前回紹介した詩は、ずいぶん反響がありました。

なけちゃった、ホッとした、トイレにプリントアウトして貼っておいた。。。など、私もこの詩を始めて読んだときは、なけましたが、みんな同じように育児やっているんだなぁとうれしかったです。そしてお役に立てて本当によかった!

さて、今回はワハハMLでおなじみさんのemiさんと宙夢(ひろむ)君が、こんなステキな歌「にじ」を紹介して下さいました。同名の絵本もあるそうです(発刊 アスク・ミュージック)。全国の幼稚園などで歌われているようですが、歌のメロディを知らない人は、声に出して読むといいかも。すこし元気がないときやいろんな思いが胸に一杯詰まっているときは泣けちゃうかもしれません。でも読み終わったあとは、本当にタイトルのように晴れ晴れとした「にじ」があなたの胸にかかりると思います。

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     に じ

作詞  新沢としひこ
作曲  中川ひろたか

1)
  にわのシャベルが いちにち ぬれて
  あめがあがって くしゃみをひとつ
 ☆くもがながれて ひかりがさして
  みあげてみれば ラララ
  にじが にじが そらにかかって
  きみのきぶんもはれて
  きっと あしたは いいてんき
  きっと あしたは いいてんき

2)
  せんたくものが いちにち ぬれて
  かぜにふかれて くしゃみをひとつ
 ☆くもがながれて ひかりがさして
  みあげてみれば ラララ
  にじが にじが そらにかかって
  きみのきぶんもはれて
  きっと あしたは いいてんき
  きっと あしたは いいてんき

3)
  あのこのえんそく いちにち のびて
  なみだがかわいて くしゃみをひとつ
 ☆くもがながれて ひかりがさして
  みあげてみれば ラララ
  にじが にじが そらに かかって
  きみの きぶんも はれて
  きっと あしたは いいてんき
  きっと あしたは いいてんき

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●毎日、生きるエネルギーをもらえる場所 


ところで、あなたには「エネルギーをもらえる場所」がありますか?

その場所は、なぜか気持ちがおだやかになって、どっか自分と宇宙、地球とつながっているような、そんな感覚を知らず知らずのうちに感じる場所。自分の中心が誰からもゆがめられず、そこに立っていることが気持ちよくなる場所。

実は、私にはすぐ近所にその場所があります。東京の街のど真ん中にある息子の幼稚園。

幼稚園そのものは、子どもたちの元気な声、動物達の鳴き声、大木のざわざわなどで、静かとは程遠く、むしろ賑やかですが、 私はどんなに徹夜していたり、疲れたときにも、息子を幼稚園に送っていくと、その疲れがスーッと抜けていくのを感じています。不思議な感覚ですが、毎日体験しているので間違いありません。たまたま私だけかもしれませんが、息子の園には確実に人のチカラを湧き立たせる何かがあります。

息子の幼稚園には樹齢140年の大きなくすのきが立っています。校舎は廃校になった町から移築した古い小学校の講堂が朝、私たちを迎えてくれます。古くから園児に大切に使われているおもちゃが一杯で、あひるやにわとりやうさぎや蛇やかえるや虫たちが一杯跳ね回っています。畑にはいつも野菜が芽を吹き、実をたわわにしています。田んぼなどの作業があると、園に帰ってきてからみんなでご飯です。お弁当以外に、畑の野草や庭の夏みかんが添えられます。今の時期は田んぼで刈ってきた稲が一杯干してあります。

そんな幼稚園をささえる先生や親も(もちろん色々、人間関係で疲れることもありますが)、みんな自分達は仲間、ファミリーという感覚で人の子どもを抱き、ほめ、しかり、見つめ合っています。自分は全く一人ではない、という自分が包まれる感覚が、さらに人に勇気をくれるのでしょう。毎日のことだから、これはとても大切なことだ、と感じています。

ひと(なかま)、こころ、からだ、しぜんが強くつながっていること。そして、その幼稚園と自分が毎日の育児や生活を通して関わっていることを私はとても誇らしく思うし、ありがたいな、と思います。息子は入園から半年たって、見違えるほどたくましく、自分で考え、行動できるようになりました。「動物って、おもちゃみたいだよねぇ」と口走った日から一年。園で一番好きな動物はにわとりで、いつも追いかけては抱っこする姿がみられます。自分達で野菜を包丁で刻み、動物の世話をしないと彼らが死んでしまうことも学びました。

「生きる」ということは、どういうことか。この園で彼が少しでも、生きるためには、かならず人と関わること、心と身体をすこやかに保ち、自然の中でいきることがどんなに気持ちいいかを体得してくれたらなぁと思いますし、私もエネルギーをもらっているその感謝の気持ちを何に変えることができるだろうと考えながら園に通っています。

▼息子の園の様子(園庭や校舎のまわり)

 
 

 

 

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